痴漢と痴漢冤罪

sociologbook | 文句は観てからで映画『それでもボクはやってない』の話。
それに対するブクマコメントで(他は共感的なコメントが多いけど)「すくなけりゃ無視してもええんかぃ」というのがあるが、別にkisiさんはそんなことを言ってるわけではないよね。単純になんで冤罪事件ばかり取り上げられるの、という話で。実際、被害にあった女性が勇気を出して痴漢を捕まえたとしても、大して話題にはならないよなあ。娘のために一緒に電車に乗り込んで痴漢を捕まえた父親の話は話題になったけど。それに冤罪事件がクローズアップされることで、他の痴漢被害が無視されたり、やたらと冤罪を疑いたがったり、「女の騒ぎすぎ」だのと言われたりもする(別に2ちゃんだけじゃなくて、リアルでも結構いる。痴漢とかの話がでるとすぐさま「最近は冤罪が多いからねえ」とか嬉々として語りたがる人)。
ただ、kisiさんのエントリにも上のコメントにも、そしてたぶん一般的な感覚にも共通してるのは、「痴漢か冤罪か」というふうに、2つが天秤にかけられてしまっていることではないか。『なぜ女は男をみると痴漢だと思うのか なぜ男は女の不快感がわからないのか―痴漢大論争!』の中で、著者の一人である長崎氏*1は、女性を責めるのではなく警察の対応や取り調べのあり方に疑問を呈していたと記憶している。実際、冤罪の中には被害者が本当に間違えた、というのもあるだろうし(というかむしろそっちの方が多いと思う)。なんとなくこの問題って「痴漢と痴漢冤罪とどっちが重大か」みたいになりがちなところがあるけれど、両方に共通している問題っていうのもかなり大きいんではないか、本当に考えるべきはそっちなのではないか、という気がする。


痴漢の話で思い出したけど、電車のなかの痴漢防止のポスターに「あなたの勇気が痴漢を捕まえます」というものがあったが、被害者に負担を課すようなこの文句はどうかと思う*2。自分や知人の経験から考えるに、痴漢にあって何もできなかった時、多くの被害者は「なんであの時何にもできなかったんだろう」とまず自分を責めてしまうんじゃないだろうか。それに周囲が追い討ちをかけることはないわな。実際問題として、痴漢の場合は被害者本人が声を上げる以外に犯人を捕まえるのはなかなか難しいんだろうけど、痴漢が起きやすい環境を改善するとか、そんなに勇気を出さなくても被害者が相談できるような窓口をつくるとか、の方が大事なんじゃないか。

*1:冤罪を訴えていた事件で有罪が確定したあと、別の盗撮事件で逮捕されたとのことだが

*2:関係ないけど福岡県内のある自治体の男女共同参画条例には「市民は、男女差別、セクシュアル・ハラスメント、ドメスティック・バイオレンス等に対して勇気をもって訴え、弱者が泣き寝入りすることなくその根絶に向けて行動するよう努めなければならない」という文言がある。気持ちが全く理解できないわけではないが、やっぱりズレてると思う