愛情って何だ

朝食レシピ集:朝食で元気に登校 熊谷のお母さんたち、家庭向けに無料配布 /埼玉

朝食を食べて元気に登校しよう--。熊谷市内のお母さんたちが小中学生のいる家庭向けに朝食レシピ集「朝ごはんをたべよう!」を発行した。同市内のすべての小中学生家庭に無料で配布し、朝食作りに役立ててもらう。

基本的に食育ウザーな私ではありますが、簡単にできる朝ごはんレシピとか、あれば嬉しい人は結構いるんじゃないかとは思う。なのでこの取り組み自体にとやかく言う気はないのだけれど、ちょっと気になったのは最後のコメント。

元気にする会の新井千鶴子会長は「赤ちゃんのために作る離乳食は手抜きもせずに一生懸命作ったはず。その初心を忘れずに、愛情を込めて家族のために朝食を作ってほしいと願いを込めました」と話している。

「手抜き」というのがどの程度のことを指すのかは分からないんだけど、「一生懸命作った」というところから推測するに、ベビーフードなどを使うことは想定していないのではないかと思う。とはいえ、今現在というかずいぶん以前からベビーフードというものはあって、多かれ少なかれ使ったことがある人はたぶん多いわけで、「一生懸命作ったはず」という言葉はなにを根拠に出てくるのかなあと不思議だったりするのですが、まあそれはおいといて。問題を感じるのは、それが後ろの「その初心を忘れずに、愛情込めて〜」とご飯を作る(手作りする)ことが「愛情」に直結させられていること。もちろんこういう考え方や物言いというのはこの新井さんに限ったことではなくて、そこかしこにあふれているんですが、なんで「手作り=愛情」になっちゃうんだろうか。おそらくそれにかける時間や労力の大きさが相手を思う気持ちの大きさに換算されてしまうせいではないかと思うんだけど、じゃあ大人用に作ったみそ汁から具を取り分けてパパッとつぶした場合のように、大して(子どもだけのために使われた)時間や労力がかかっていないものはベビーフードとどの程度違うの?という気がしたり。そもそも愛情がかけた労力や時間比例するという考え方自体どうよ?と。たとえばご飯はレトルトも利用して簡単にすませて、その分子どもと遊ぶ時間を長く取る、という愛情の示し方だってあると思うんだけど。
上のコメントで一番引っかかったのは「手抜き」をしたり「朝食を食べさせない」ことが「愛情を込めてない」かのように読めてしまうこと(そして本気でそう思っている人もいるんだろうな、と思うが)。まあ個人的には朝食は食べた方がいいと思うし、うちでは必ず食べるけど(というか私自身が朝食なしだとまったく持たない人なため)、朝食を食べない理由や事情は家庭によっていろいろあるのだろうし、そもそも愛情の示し方だって人それぞれなんだからそんな言い方はやめようや、ていうかやめろや、と思うのでありました。