柳沢発言についてもう少しだけ

例の発言について、いくつかのブログを読んで回ったところ、非常に憤慨しておられる人からそんなに問題発言か?という人まで反応は様々。
私自身としては、ものすごく呆れてはいるけれども腹が立つというほどではなく、そういう意味では「機械に例える発言自体はたいしたことではない」という立場に近い(ただ、ざっと見た感じこの立場の人に男性が多そうなところはやや気になるけれども)。まあ機械のように産めるんだったら楽かもしらんねと思ったり。痛みや苦痛も感じないで済むだろうし、産んだあとの責任もないだろうし、とか。それから「15歳から50歳の女性」というところに突っ込みを入れておられる人も何人かいたが、これは合計特殊出生率がこの年齢の女性を対象として算出されることに基づくものだと思うのでここについては追求する必要はなかろうかと。
ただし、だからといって今回の件がたいした問題ではないと思っているわけではなくて、発言そのものよりは立場とか文脈とか発言の背景にある認識の問題ではないかと考えている。例えば、いちサラリーマンが「所詮労働者なんて企業の歯車に過ぎない」といっても怒る人は少ないと思うが、これが経営者や厚生労働大臣だったら「お前がいうな」という反応が出てくるだろう。しかし、経営者や大臣であっても、「現状では企業の歯車になってしまっているが、そういう状況は問題だ」という批判的文脈でいうのであれば、そんなに責められないだろう。あるいは太田誠一の集団レイプに関する発言も、別に本気で「集団レイプする人は元気があっていい」と思っているわけではなくても、実際に被害者が存在する強姦事件について「たいしたことない」という意識が垣間見える発言だったから問題だったのだ。
今回の件に関していえば、子育て支援少子化対策を先頭に立って進める立場にいるはずの厚生労働大臣が、問題のある内容だと気づいていながらも「まあ許されるだろう」ぐらいの感覚(ここは推測でしかないが、自民県議の決起集会という内輪の場でなおかつ15歳から50歳の女性はかなりの少数派だろうし)で発言したこと、さらにいえば安倍内閣が「子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議」とかいう気色悪い名前の会議の立ち上げを決定した矢先の発言であったことが問題なのであって、その程度の認識しかもたない人間が厚生労働大臣であるという点を追求すべきだと思う。そういう意味で、罷免要求については積極的に支持するほどではなくても理解はできるし、やってもいいと考える。一方「絶対に言ってはならない発言」とか「女性に失礼」といった批判はなんかズレてるなとは思うんだけれども、柳沢の「女性を傷つけた」っていう謝罪の仕方も、結局この人自分の発言の駄目さを分かってないんじゃないの?お前の発言ごときでいちいち傷ついてたまるかバーカとか思ってしまったりするのである(もちろん個別に傷ついている女性はいると思うけど、謝罪すべきはそこか?という意味です)。