「こういう人」にどう対応するか

9/4のエントリ「女ですもの」に、id:discourさんから次のようなコメントをいただいた。

これ、メディアが女性の呼称を「主婦」としたがることと共通していそうです。先日、男性の紹介の仕方は単に名前をいうだけで平気らしいのに、女性を紹介する時には、「おうちのこともやっているんでしょう。だったら主婦って言ってもいいよね。大事なことなわけで主婦で低く見ているわけでもないのだから」とメディアの方から主張され、どれだけ言っても平行線でした。きっと「女」としての側面ばかりを優先すること自体が「常識」となっていて、あまり気づいておられないんだなと感じました。どういったら理解されるでしょうかね?

私のまわりにも「こういう人」いました(います)。で、ここからはあくまでも私の個人的な経験をもとにまったくの主観で語ってしまいますので、フィクションのようなものとして読んでいただければ・・・と思うのですが。


「こういう人」にはある程度の年齢の、ある程度の地位にある(かつてあった)、男性に多いです。「こういう人」はどんなに丁寧に説明しても、理解しません。なぜなら理解する気がないから。また、「こういう人」は論破されることもありません。なぜなら決して自分が言い負かされたとは思わないから。「こういう人」たちは、「他人に諭されるのがイヤ」「相手に同意したくない」「できれば相手に自分の意見を聞かせてやりたい」のです。ですから、ものすごく自分の意見にこだわりがあるわけでもなかったりします。discourさんのコメントに出てきたメディアの方も、別に「何が何でも女性は主婦と書かなければ!」と思っていたわけではないでしょう。ちなみに、相手が女性や年下である場合にはなおさらです(というか、目上の男性に言われると表面上はあっさり同意したりします)。
「こういう人」はこちらの話を聞いていないのです。こちらが話をしている最中も、どうやって自分の意見を主張してやろうかと考えています。そう、「質問を装った自己主張をする人」と同じですね。ですから、どういったら理解されるのか・・・とても難しいと思います。なにしろ理解する気がないのですし、そもそも話を聞いていないのですから。
ならば永遠に平行線のままなのか・・・一つの方法を考えてみました。「相手に同意したくない」という心理を逆手にとり、促したい方向とは別のことをいうのです。


「女性はやはり何といっても第一には『主婦』ですから、肩書きにはできる限り『主婦』を使いましょう。『主婦の吉永小百合さんが原爆詩を朗読』『未来の主婦愛子様5歳のお誕生日』『世界陸上女子マラソンで主婦の土佐礼子さんが銅メダル獲得』『町村外務大臣アメリカ在住の主婦ライスさんが会談』・・・。結婚しているかどうかは問題ではありません。おうちのこともやっているんでしょうから。大事なことなわけで主婦で低く見ているわけでもないのですから。そう、『家事は愛、調和、献身、祈り』と主婦の山谷えり子さんも言っておられます。」






だめですか、そうですか。