デビューボの水たまり

『バックラッシュ!』発売記念キャンペーンバッジ獲得ドギレース、第2回中間発表で25ドギもいただいてしまいました。待ってろよ、邪神バッジ!!しかし、お二人から身に余るコメントをいただいてしまい、プレッシャーが…orz。


すでにネタ的には厳しくなってきているものの、せっかくだからバックラッシュネタでも書いてみよう。大物はchikiさん(id:seijotcpさん)がバッサバッサやってくれるので、小ネタor小物の方を。
今回はこちらのコメント欄で書いたことだけど、渡部昇一の『私の家庭教育再生論 -鍵は「お母さんの知恵」にある』から。ジェンダーについて。(ちなみにこの本はAmazonなか見!検索で内容を読むことができます)

一般的理解として、『イミダス』の「女性と社会」欄を見ると、ジェンダーは次のように説明されています。
「文化的・社会的につくられる性,性別、性差のこと。男女の性器官の、形態上の差などによる生物学的性差とは区別してつかわれる。
女である、男であるという性別の認知によって割り当てられる役割への期待や位置づけを含む概念。
一九七〇年代から使われるようになり、ジェンダー概念の導入によって、社会的に割り当てられた性別概念や性別役割分業観が普遍的なものではなく、ある社会や文化によってつくられたものであり、変革しうるものであるという認識が容易になった」
ちょっと難しい説明になっていますが、要するにジェンダー概念とは、男らしさ、女らしさは社会によってつくられるものだという考え方を言うのでしょう。
フランスの作家ボーボワールが『第二の性』で言った「女は女に生まれるのではなく、女はつくられるのだ」という言葉に通じるものがあるようです。
ですから、ジェンダーフリー--これはどうも和製英語らしいのですが--とは、生物学的な性の違いから人間を解放することという意味になります。






文化的・社会的につくられる性,性別、性差のこと。男女の性器官の、形態上の差などによる生物学的性差とは区別してつかわれる。(中略)
ですから、ジェンダーフリー--これはどうも和製英語らしいのですが--とは、生物学的な性の違いから人間を解放することという意味になります。



???


生物学的性差とは区別してつかわれる(略)
ですから、(略)
生物学的な性の違いから人間を解放することという意味



?????


うーむ、今回はインパクトに欠けるなあ。次回は珍太郎の本にしよう。
あ、ちなみにボーボワールってどなたですか?