クレタ人のパラドクスを思い出す

道徳教育は子どもが携帯を持つ前に ヤンキー先生が指摘(朝日新聞)


なんつーか、もう・・・。
この方は自分が「ヤンキー」だったことをお忘れになったのでしょうか。義家氏のこれまでの歩みを「逸脱→更正」とものすごく単純化し、なおかつ義家氏は道徳を身につけている(とご本人は考えている)として考えてみます。

  • 義家氏が逸脱しても更正できたのは、10歳までに道徳心を叩き込まれていたからだ、とすると・・・

→10歳までに道徳心を叩き込まれていても逸脱する可能性はある
→今現在逸脱している子も10歳までに道徳心を叩き込まれていたかもしれない。今現在逸脱しているからといって、道徳心や更正可能性がないとは言えない
ということになるし、

  • 義家氏は10歳までに道徳心を叩き込まれなかったので逸脱したが、その後道徳心を身につけた、とすると・・・

→「それ以後は、どんな道徳の教えも意味をなさない」はウソ
ということになる気が。


あるいは義家氏は道徳心のあるヤンキーだったと。しかし道徳心のある人が家族をボコボコに殴ったり、先生の頭に火をつけたりするのだろうか。いや、「道徳心」の捉え方によってはそういうこともあるのだろうけど、だとしたら保守派の議員なんかが言ってる「道徳」と義家氏の考える「道徳」はかけ離れているのかもしれぬ。
それとも、1999年を「日本が連綿と守ってきた教育の形が崩壊した年」となんて言っちゃってるくらいだから、自分の時代には携帯電話がなかったからいいが今はダメ、ということなのだろうか。携帯がすべての元凶だと。それならば携帯持ってる子と持ってない子の道徳心の違いとか、携帯持ってしまうと本当に道徳教育が意味をなさなくなるのかとか、客観的な材料を持ってきて語ってほしいもんだ。ていうか、1999年以前は「大人が情報を分別して有害なものを子どもから遮断できた」なんていうのがそもそもヘッ?なんだけれども。
まあ、でも、あれだ。義家氏が戦後教育を大変評価しているらしいということは分かった。