学力低下しているのは誰だ

ゆっくりネタを考える暇がないときはついつい産経に頼ってしまう。
【産経抄】10月26日

「学びひたり 教えひたろう 優劣のかなたで」。平成17年4月に98歳で亡くなった国語教師の大村はまさんは、書き残した詩「優劣のかなたに」をこう結んでいる。(中略)
 ▼生徒一人一人のために新聞や雑誌の切り抜きを使って教材を手作りする授業は、「大村単元学習」と呼ばれた。できる子、できない子、そんなことを忘れて、それぞれのもてる力を出し切ろう。教師は「自主性の尊重」を言い訳にしないで、子供の力を最大限に引き出せ。そんな大村さんの“遺言”と読める。

私は大村はまさんのことを存じ上げなかったのでググってみたのだが、「生徒一人一人のために新聞や雑誌の切り抜きを使って教材を手作り」とか「優劣のかなたに」を読む限り、「自主性」はどうか分からないが子どもの「個性」を非常に尊重しておられた方のように思えるが。

▼成績の優劣に一喜一憂する必要はない。低かった地域や学校は、原因を探り対策を急ぐだけのこと。そもそも43年間も全国調査を実施しないで、データなしで教育行政が行われてきたことの方が問題だった。学力向上のために、大村単元学習も大いに取り入れてもらいたい。

これもググってみての印象ではあるが、大村さんの教育観や教育実践は、全国一律の学力テストの対極にあるのではなかろうか。「学びひたり/教えひたろう/優劣のかなたで」という一節は、学ぶこと、教えることはテストで測れるような(優劣がつけられるような)「学力」をつけるためのものではない、ということだと私は解釈したので、「学力向上のために大村単元学習を取り上げろ」というのは大村さんに対してものすごく失礼な気がするのだが。

 ▼たとえば教材に、きのうの金大中事件の記事はいかがだろう。34年前の事件は当時のKCIAの犯行だったと、韓国の報告書は断定した。日本の主権侵害を認めたのだから、てっきり韓国政府が日本政府に謝罪したと思っていた。
 ▼ところが、日韓両政府が出したコメントはどちらも「遺憾」だ。これではどちらが謝っているのかわからない。政治家が物事をうやむやにするときに使う常套(じょうとう)句を、学習するのに絶好の機会ではないか。

かと思えばこれである。「政治家が物事をうやむやにするときに使う常套句」を学習して学力向上? いや、書いてる本人は極上の皮肉を言ったつもりなのかもしれないが。しかし、メディアがいかに現実を切り取り、構成しているかを知るのは必要なことだと思うし、そのためには産経を始めとする新聞は格好の教材だけれど。でも今現在の流れとしては、そういう時間は削られる方向にあるし、産経はそれを支持してきたのではないかしらと思うのだけれど。