「機会の平等」を強調する女性
高市早苗関連でもう一つ気になったこと。
昨日の就任会見をチラ見したとき、やけに「『結果の平等』ではなく『機会の平等』」を強調していた気が。会見の内容がみつけられないので公式サイトをみたら、「政策」のところにも書いてありました。
税制や教育における「行き過ぎた結果平等」を廃し、「機会平等」が保障される法制度への転換で活力を創出します。
男性中心的な世界でのし上がった女性には「機会平等」や「実力主義」をことさらに口にする人が多いように思う。「自分は自分の能力でここまで来たんだ」ということをいいたいのだろうな、とは思うのだけど、こういう人たちって本当に自分の能力「だけ」で自らの地位を築いたと思っているのだろうか。いや、もちろんそういう人もたくさんいるんだろうけど。
ただね、例えば2ちゃんとか保守系の人が書いてるブログとかみてると「女性閣僚は高市早苗か山谷えり子か西川京子か稲田朋美あたりで」って感じの表現がすごく目につく気がする。男性に関しては具体的なポストと具体的な人物名があげられてることが多いのに、女だと「この中のどれか」って感じですよ(中山さんに関してはちょっと様子が違うけど)。女性枠ですよ。保守的なことを言ってくれる女なら誰でもいいんだよ。まあ閣僚人事までそういう感覚で行われてるかはわからないけどね。
思うに高市さんのように「機会平等」とかを強調する人だってそのへん気づいているんではないのかな。「結果の平等」をいえば自分が実力でここまで来たということが疑われる。それに、女が「機会平等」を唱えていれば(「結果平等」を嫌う人たちの間では)それなりに重用される。「機会平等」を唱えることは、自分の地位を保つ手段であるとともに、自分の現在の立場に正当性を与えてくれる。なので強迫的に「機会平等」を繰り返すのではないか、と意地悪な私は思ってしまうのでした。
まあ、二世、三世の男性議員が「個人の努力や能力が評価される社会」なんていうのも同じようなものかもしらん。
ついでに、他の政策について。
「朝食では非常食用のもちを食べ“出陣”したという。
「食育」の推進を掲げておられるようですが…。
政策より。
手をつないでゴールインする徒競争が全国各地の運動会で大流行
だそうです。