ジェンフリ版桃太郎が伝統破壊なら・・・

更新が滞っているものの、なんだか最近落ち着いて考えをまとめられないので以前ちょっと気になっていたことについて。
このブログでも何度か言及したことがあるジェンフリ版桃太郎。実際に観たことはないのですが、主人公の桃太郎が女の子である桃子に変更されており、武力による鬼退治ではなく話し合いによって問題を解決する、という話の劇のようです。ところで、アンチジェンフリの方々の中にはジェンフリ版桃太郎にこだわりを持つ方がけっこういるようです。曰く、昔話の改変は伝統文化の破壊である、とかなんとか。一例として山谷えり子さんの発言

「桃太郎」は、『おじいさんが柴刈りに、おばあさんは洗濯に』が固定的な性別役割分担を助長して性差別につながるし暴力的だから、ジェンダーフリーで主人公を「ももこちゃん」にして、鬼も退治するのではなくて、仲良くする結末につくりかえて教えるようなことまでしていますね。高校教科書には、「ももからうまれたももこちゃん」絵本を保育所で読むという一文が載っています。そういう人たちは、文化とは何かがわかっていないし、人間とは何かがわかっていない。ただ薄っぺらな理念にとらわれて、文化や宗教的情操心、歴史というのを自分たちの都合のいいように変えていっている。こういう運動も人間の精神を貧困にしていきますよね。

ところで、以前(1年くらい前?)NHK教育の人形劇で『寿限無』をやっておりました。ご存知の通り、生まれた子どもにめでたい名前をつけたいと思うあまり、考えついた(または紹介された)名前を全部つけ、あまりにも名前が長いために呼びかけている間にたんこぶが引っ込んだとか、子どもが溺れてしまったとか、夏休みになってしまったとか、卒業式になってしまったとか、この辺りはいろいろとバリエーションがあるようですが、まあそういうお話(噺)であるわけです。ところが、その人形劇のストーリーはこうでした。


名前を付けるまではほぼ一般的なストーリー。
→父や母が子どもの名を呼ぶのにムダに時間かかる
→子ども「もうこんな変な名前いやだい!」と家を飛び出す
→母親がたくさんのろうそくの燃え残りをもって子を追いかける
→母「父ちゃんはお前にめでたい名前をつけたいと、夜通しろうそくを灯して考えたのよ」
→子ども「そうだったのか! ごめんよ父ちゃん! うわーん!!」
→子ども「今度から、急ぐときは長介、ちょっと急ぐときは長久命の長助、急がないときは寿限無寿限無…(略)にするよ!」
→父、母、子ども「あっはっはっはっはっはっはっはっ」





・・・・・・・・・・はあ?


私自身は『ジェンフリ版桃子』的なものはそんなに好きじゃないんだけれども、男女共同参画に関するフォーラムとか、それについて考える機会において、市民グループ等が主体となってやる分には全然問題ないと思っている。一種のパロディであるし、「こういう話であるべき!」というわけではなく、誰でも知っている物語を別の視点で作り替えることによって従来のジェンダーバイアスへの気づきを促そうという取組みであるわけだし。
でもなー、上の人形劇は・・・。無理やり感動的な話に仕立て上げて(感動しないけど)元の話の面白さを台無しにしてしまったものが、『寿限無』という元のタイトルのままでNHK教育で全国放送されてることを考えると、よっぽど深刻な「伝統破壊」じゃないかと思うんだけど。
以前もちょっと書いたけど、昔話なんて改変されまくりだし、そもそも口承文芸である昔話にこれこそが正統なオリジナルであるというストーリーなんて無いはずなのだが。結局のところは伝統の破壊だとか物語の改変だとかが問題だと思ってるわけではなく、自分たちと相容れない思想を盛り込まれることがイヤ、ってことなんだろうな。
試しにジェンダーに関するフォーラムなどで、「お国のために!」「家族を大事に!」「純潔万歳!」「産めよ増やせよ!」な方向での改変版昔話を作って演じてみたらどうかしらね(というか、パロディって本来そういうものなような)。


ちなみに『電王』はどうなの?