雑巾で家族や教育力を語られても・・・

前回のエントリ親学推進協会なんてものがあるらしいことを知って、その会長であるという木村治美さんという人はどんな人だろうと思ってググってみたら、島根県で行われた講演会の講演録を発見。全体的になんだかな、という感じなんだけど、時期的なものもあって特に気になったのが「3.家庭の教育力について」で出てくる「雑巾」の話。

しかし、私の好きなテーマに「雑巾」の話があります。シンポジュウムがあったんですが、私は、コーディネーターをしていたんです。そしたら、ここに女の校長先生が発言したのですが、4月に全校の生徒に雑巾をもって来るように指示したら、スーパーの親爺さんから電話がかかってきまして、「全校一斉に持参させるような指示はしないでほしい。」皆さんお笑いになったということは、お解りになったということです。つまり、この頃は、お母さんは、雑巾は縫わないでスーパーで買うんだそうです。だけど、この校長先生は、お母さんに向かって「忙しいのはよくわかるけれど、学校に持たせる雑巾くらいは、親が縫ってやってほしい。」とおっしゃったんです。その校長先生は、お年もお年だから母親が縫ってやったものには、親の心がこもっている。だから、その心付きの雑巾を持たせてやってほしいというおつもりだったんでしょう。
 そしたら、会場から威勢のいいお母さんが手を上げて、はっきりこう言いました。「スーパーで買おうと、親が縫おうと雑巾は雑巾です。それでも親が縫おうとしたら、それは、親の見栄です。」とこう言ったんです。そうしたら、校長先生、少しもひるまず、「見栄でもなんでも親は頑張らなあ、あかん」とおっしゃった。だから、今は親がやったものには、心がこもるんだ。目に見えない心がこもるんだ。そういうことが理解できない親が子育てをしているということです。そしたら、心なんて、どうやって存在させたらいいのか。

長いので以下は省略しますが、とりあえず男の高校生、歯を食いしばれ。


それはさておき。なにを隠そう私自身も子どもに持たせる雑巾を店で購入した親の1人である。というのも、最近では雑巾を台拭きとして使ったりするため、新品のタオルで作った雑巾でないとダメだという幼稚園や学校が増えていると聞いていたからだ。子どもが通う幼稚園には直接確認はしなかったが「雑巾(新品)」とあったので、おそらくここもそうなのだろうと判断した。しかし、自宅にあるタオルのストックはたいてい頂き物でブランド品だったり濃い色だったり表面がガーゼだったりで雑巾にはどうよ?というものばかりなので、雑巾を作るのにタオルを買わねばならない、ということに。しかし、店にいくとタオル1枚の値段で雑巾3枚セットが売ってある。だから買った。
だからといって私が子どもの持ち物に手間をかけなかったかというと、他の園グッズにははっきり言って必要以上に手間と時間と金をかけた(手づくりって金かかるよね)。もともと時々思い出したようにモノ作りにハマる傾向があること、妊娠中で仕事をセーブしており時間があったこと、これから使う機会が増えるだろうからと20年来使ってきた安物のコンパクトミシンを買い替えたらあまりの縫いやすさ(今までが酷過ぎただけなのだが)に縫い物が楽しくなってしまったことなどの条件が重なり、別に買ってもいいようなリュックやプールバッグ、子ども服まで作ってしまった。
で、子どもは私が作ったグッズや服を喜んでいるかというと・・・「ものによる」としか言いようがない。そりゃそうだろう、子どもにだって好みがあるんだし。傾向としては、市販のアイロンワッペンをつけた服やグッズがお気に入りの様子。だったら市販品にワッペンつけても一緒なんじゃないかという気もしなかったり。でもなんで張り切って作ったかというと、結局は私の自己満足なのですよ。私がミシンを使うときはそこら中にはさみやリッパーや待ち針が散乱するので基本的に子どもの前ではやらないから、子どもは私が手間と時間をかけてグッズや服を作っているところをほとんどみていない。また、もし子どもがいる前で作業するとしたら、その間子どもは放置、ということになる。子どもとしては(うちの子の場合、だけど)グッズ作りなんかより一緒に遊んでくれ、と思うだろう。手間と時間をかけたから心がこもっている、子どもは心を感じるはず、なんてのは作る側の押しつけじゃないの?と思うのだ。いや、もちろん手間と時間をかけて作ってくれることが嬉しい、と感じることもあるだろうけど、それが伝わらないことだってあるだろうし、伝わらなかったとしてもそれは作る側のせいでも受け取る側のせいでもないような気がする。単にニーズがかみ合わないというのか(手づくりプレゼントのことを考えてみよ)。
それに「雑巾を買う親がいる」「出来合いのゴマ和えを買う親がいる」ということは「最近の親は雑巾も料理も買ってすます」ということにはならない。雑巾を買った私がムダにグッズ作りに手間をかけているように、雑巾は店で買う母親がゴマ和えはゴマをするところから始めてるかもしれないし、雑巾もゴマ和えもスーパーで買うけど公園で死ぬほど子どもと遊び倒す親だっているかもしれない。
手間のかけ方、心の込め方なんて人それぞれだもの。雑巾で人の心を語らないでほしいわと思うのです。