今日の違和感

佐賀の病院で、入院中の男性が暴力団関係者と間違われて射殺された(らしい)事件のニュースを見ていて。
NHKとテレ朝のニュースを見たのだが、どちらも被害者の男性が、県外の大学に行ったのに故郷に戻って家業を継いだだの、地元の消防団で活動していただの、子煩悩だっただの、事件とはおよそ関係のない(というか間違って殺されてしまったのなら、被害者についてのどんな情報も事件とは関係ないはずなのだが)被害者の情報を放送していたのだけれど、何の意味があるんだろうな、これ。被害者のよき住民ぶり、よきパパぶりを描き出すことで、暴力団の抗争に善良な市民が巻き込まれた、ということを強調したいのかもしれないけれど、たとえ善良とはいえない人であっても人違いで殺されたのなら大問題なはずなのに。
ショッピングセンターの駐車場から車が転落したというニュースでも、「亡くなった女の子は来年小学校入学で、そのための健康診断に行った後だった」とか、先日火事で4人が亡くなった事件でも「音楽会を楽しみにしていた」とか、特に子どもの場合にはその他の事件、事故でも「将来の夢は〜」とかそんなんが必ずといっていいほど報道されるんだけれども。
なんだか被害者というのはつねに善良で、未来に対するキラキラとした期待を突然断たれる、という物語に合致しないといけないのかしらん、という気になってくる。特筆するところのない自分のような人間が今事件に巻き込まれたら、どのように報道されるのだろうか。


ついでに細かいことなのだが、佐賀のニュースで近所の人の「明るいし、よけいもしゃべらんし、いい人でしたよ」との発言に「余計なことは話さないし」とテロップがついていたのだが、九州方面の方言では「あまりしゃべらないし」という程度の意味である。訳するなら正確にとお願いしたいものである。