久々の更新でございます

かなりタイミングを外してしまったが、id:discourさんのトランスジェンダーに関するエントリを読んで思い出したこと、考えたことがあったので。
家の近所の公園でごくたまに見かける小学校高学年ぐらいの子で、もしかしたらMtFTGなのかな?と感じる子がいる。で、次男出産後に実家の母に来てもらっていたとき、長男を公園で遊ばせてきた母がその子の話をしてきたので(母はすごくボーイッシュな女の子だと思っていたようだけど)、話の流れで「もしかしたら性同一障害かもしれないと思っているんだけど」というと、母の反応は「あら〜、かわいそうにねえ…」だった。
ふーん、いきなり「かわいそう」なのか、と思ったけれども、まあこの年代の人の感想はそういうものかもしれぬ、とも思って特に何も言わずにいた。ところがその翌日くらいのこと、たまたま昼間つけていたワイドショーで如月音流さんが「ニューハーフ社長」ということで紹介されていた。そのオープニング(まだ映像のみで音流さんはまったく発言していない段階)を見た瞬間、母は「いやーよそわし(汚ならしい、といった意味の方言)、お母さんこういう人たち好かーん」と言い放ったのでこちらはビックリ。おいおい、昨日の「かわいそう」はどこいったんだよ、と。
で、その理由を考えてみて、「性同一性障害」という「病気」の人はかわいそうだけれども、ニコニコ笑ってテレビに出ているような人は「病気」ではなく好きでやっているはずだから「かわいそうじゃない」と思っているということなのかな、と思った。id:discourさんが引用していた歌川さんの文章に「正しいジェンダー」という言葉が出ていたけれども、母の中では「正しいトランスジェンダー(母はTGという言葉は知らないだろうけれども)」というのは毎日悩み苦しんでいるはずで、悩んでいない(ようにみえる)TGは「忌むべきTG」なのかもしれない、と。テレビであっけらかんとしゃべっているTG(やゲイ)が、別のところではものすごく悩んでいるかもしれないという可能性を考えることなく。
とはいえ、これは母(のような反応をする人)に限らないかもしれない。「GIDの人は苦しんでいる。かわいそうだ。なんとかすべきだ」と考える一方で、「でも今はKABA.ちゃんや假屋崎さんみたいに活躍してる人も多いからー」*1とあっさりいっちゃう人も身の回りにけっこういたりする。忌み嫌うにしろ好意的にみるにしろ、悩み苦しむTGかあっけらかんとしたオネエmansかというイメージしかなくて、その中間というか、両方の面を持つTGという存在が抹消されてる気がするのである。

*1:実はこういう言い方にはすごく違和感を覚える。KABA.ちゃんにしろ假屋崎さんにしろIKKOさんにしろ、それぞれの分野で確たる地位を築いている人たちが、「面白いキャラ」として扱われている現状を「活躍」といっていいのだろうかと。ていうか、オネエmansさ久しぶりにIKKOさんみてビックリした。テレビに出始めの頃はもっとしっとりしたキャラだと思っていたので。