自衛とは

某所(面倒なのでリンクは省略)で紹介されていたアメリカの犯罪被害調査。


http://bjs.ojp.usdoj.gov/index.cfm?ty=pbdetail&iid=2113

これを紹介していたエントリについては正直まったくのシャドーボクシングだと思うので基本スルーさせてしまうとして、せっかくなのでこの調査および調査結果について気になったことをいくつか。


これを紹介していた人は、この調査において、レイプ(未遂、強制わいせつを含む)の被害者のうち自己防衛手段(self-protective mesurement)をとった人のうち、6割強の人がそれが有効であったと回答していることをもとに「銃や刃物などの武器を使わず、声を張り上げた、逃げた、蹴った、殴ったといったような」自己防衛手段は「非常に効果的だ」としているのだが、このデータにおいて、被害に会った際に何もしなかった、あるいはできなかった4割弱(ここでは女性に限る)の人は除かれいる。この統計において注目するべきは、何かしらの暴力的な犯罪に遭遇した場合に抵抗しない/できない人が相当程度いる(Table69)、ということであると思う。もちろんこの人たちは「自衛は役に立たないとか害あって益無し」と説く「自衛論者」(そのような人を私は見たことがないのだが)に従ってアクションを起こさなかったわけではないだろう。突然の攻撃に対しては、人は(この調査の選択肢に従えば)痛みや恐怖のために叫び声をあげることさえできないことがある、ということなのだ。そのような事実を無視して「襲われた際に抵抗するのはは有効だから何が何でも抵抗するべきだ」ということを説くことを私が危険だと思う理由は、以前も書いたがそれが既に被害にあった人に対して「なぜ(もっと)抵抗しなかったのか」「抵抗しなかったのだから合意があったのだ」と責める言説に容易に転換するからだ(プラス、同じ調査で1割強の人が事態が悪化したと回答しているように、抵抗するのが有効かどうかは状況や加害者によってことなるからだ)。というか正直に言って、被害に遭った人(のうち一部の人、自分の被害者像に合致しない人)を責めるためにこそ、自衛を説いていると思えてしまうような人だっているからだ。


ところで、この調査自体にも気になるところがある。レイプ被害を受け、自己防衛手段をとった人でそれが役に立ったとしている人のうち、「Avoided injury or greater injury」としている人が最も多いことだ。つまりは「自己防衛手段が有効だった」ということは、「レイプ被害を避けられた」ということをおそらく意味しない。ならば、「Avoid injury or greater injury」のためにあえて無抵抗だった人もいると思われるなかで、いわゆる「抵抗」がなかったことをもって「自己防衛手段をとらなかった」とするのはいかがなものだろうか。ちょっと前のエントリで取り上げた「ジーンズをはいていたのだから合意があった」とする考え方もそうだが、目に見える抵抗がなければ自己防衛していないということは、例えば強盗(包丁を突きつけられておとなしく財布を渡した、などのような)場合にもいわれることだろうか。そのような考え方こそが抵抗しなかった/できなかった被害者に声をあげさせにくくしているということを考えるべきだと思う。