偉い人の話、だと

数日前の話ですが。
冬休み中の学童保育ではコマ作りとか集団遊びとかほぼ日替わりでイベントがありまして、その中に「お話し会」というのがありました。「偉い人の話」を聞いてその中から好きな言葉を探そう、みたいなやつで、子どもがもって帰ったプリントを見ると「吉田松陰福沢諭吉野口英世、宮本警部」の名前がある。「吉田松陰」に妙なアンテナがピピッとしつつ、「宮本警部ってだれじゃ?」と思って検索してみたら、数年前に踏切自殺を図った女性を止めようとして亡くなられた警察官の方だったんですね。そして「この人選はいったい・・・」と思い、主催しているドリカムキッズ・プロジェクトというのを検索してみたら、以前産経の「やばいぞ日本」で紹介されてた「いろは七訓」の人でした…。
そしてこの主催者の会社で宮本さんの絵本を出しているのですな。この宮本さんという方、近隣の人に慕われていたという話もあり、警察官として立派な方だったのであろうと想像します。ただ、この方のを巡る話で何となく嫌なのは、この方が人を助けようとして「命を落とした」ことをもって取り上げられているようなところです。さらにいえば、警察官としての公務中にその事故があったということも、このエピソードが「いい話」として取り上げられる要因ではないかという気がしていて。例えばこれが全く別の職業の人だったら、あるいは亡くなっていなかったならば、ここまで取り上げられただろうか。そこで「いい話」とされているのは「死のうとしている人を助けたこと」ではなく、「職務に殉じて命を落としたこと」にあるのではないかという気がしてしまうのです。絵本のタイトルやこの方を紹介する肩書きが、近隣の住民に慕われていたときのものではなく、この事故によって特進した後の階級であるのもそのような思いをもってしまう一因となっています。そしてこのドリカムキッズという事業を主催しているのが日本青年会議所であるとか、この絵本の挿絵を描いている人が日本会議の機関誌の挿絵を描いている人であるとか。やれやれ。