山谷えり子と桃太郎

こちらのブログオススメされていた「日本の教育改革」有識者懇談会での山谷えり子の発言を読んでみた。

今回の中教審答申で、「男女共同参画社会への寄与」ということが書かれています。この中に、例えば性の自己決定権というものが入っているのは問題です。セックスの自己決定権。警察の調べでは、中学生、高校生の六八%が見知らぬ人とセックスをするのは本人の自由。売春は四五%が本人の自由と言っている。こんな国は世界にありません。

という発言があるわけですが、これまで数々のデマ、歪曲を流してきた山谷先生のことなので、まずはソースを確認します。警察庁のサイトではみつけられなかったのでとりあえずこちらで。
「宮城、千葉、石川、岡山、大分の各県の中高生」というのはどういう基準で?というのはおいといて、該当の箇所を。

調査結果によると、「同年代の女子が見知らぬ人とセックスすること」に、9.6%が「してもかまわない」と回答したほか、58.1%が「問題だが、本人の自由」と答え、セックスを容認する中高生が全体の67.7%に上った。「してはいけない」と答えたのは31.8%だった。(中略)
 「女子が見知らぬ人とのセックスで小遣いをもらうこと」は、ほぼ半数の49.1%が「してはいけない」と回答したが、「してもかまわない」が5.9%、「問題だが本人の自由」が44.8%に上った。

これをみると、「本人の自由」と回答している人の大半は、見知らぬ人とセックスすることやそれによって小遣いをもらうことを「問題だ」と考えていることが分かります。なるほど中国新聞の記事でも「中高生の67%が容認」となっていますが、「本人の自由」の中にはパーソナルな問題とインパーソナルな問題とが含まれています。つまり、「自分はしないけれど、他の人がすることには口出しできない」という人も当然いるわけで、調査結果からはむしろそういう人の方が多いのではないかと推測されます。もちろんそういう風潮自体を問題視する、という視点もアリなわけですが、山谷先生の場合はこれを自己決定権と関連づけようとするのでおかしなことになります。すなわち自己決定という観点から考えれば、「本人の自由」と回答している人の大半は「自分はやらない」という自己決定をする蓋然性が高いと考えられるわけです。ですからこの調査結果自体からは「日本の中高生はなかなか操が固いねえ」という結論を導き出すことも可能ではないかと思うわけです。(もちろん、問題と思いながらもやる、という人もいるでしょうが、それならば「してもかまわない」といいながらやらない、という人のことも考慮しなければなりません)


それから、

桃太郎も"桃子ちゃん"に変えられた絵本がまじめに推奨されています。宗教や伝統文化というものが全てこの一つのコンセプトでズタズタにされていっているという現状です。

という部分についてですが、以前「トリビアの泉」で「桃太郎のもともとの話は、子どもが欲しいと願った老夫婦が川から流れてきた桃を食べたところ若返り、その後セックスして桃太郎が生まれた」という話だった、というトリビアがありました。ぜひとも伝統文化を守るためにも元の設定のままで子ども達に紹介するよう主張なさってください(ていうか昔話なんて改変されまくりですがな。カチカチ山でおばあさんがババ汁にされずケガしただけだったり、サルカニ合戦でサルは死なずに謝って終わりだったり、そんなんばっかですよ)。