上のエントリについて追記
昨晩とりあえず思いつくままに書いたエントリについて、もしかしたら更なる誤解を招くかもしれないと感じたので追記。
上のエントリにも書いてあるとおり、「女性運動の中で「男女平等」っていう言葉がどの程度、あるいはどのように使われてきたのかは」まだちゃんと確認してないし、フェミニズムが「男女平等」をまったく主張してこなかったということでもない。例えば教育や労働の問題なんかについては「男女平等」を掲げることが多かったように思う。ただ、語義的に、あるいは運動の当初としては「女性解放」「女性差別撤廃」に重点があったのではないかと(「フェミニズムの主張の中心〜」という記述については誤解を招きやすかったかも)。でも90年代頃からのフェミニズムあるいはジェンダー論(この2つを一緒に語っていいのかという問題もあるね)においてはジェンダー構造そのものを問い直す中で男性への抑圧の問題だって浮上してきたし、女性内部の差異という問題も出てきた。だから単純に「フェミニズム=女性解放」ともいえなくなってきている。
で、結局なにがいいたいかというと、「フェミニズム」と何かを等号で結ぶことがそもそもあまり意味がないんでは?ということなんですよ。男女平等を唱えるフェミニストがいてもいいし、唱えないフェミニストがいてもいい。「男女平等を唱えるなら男性差別にも〜」といっても、人それぞれに優先順位があるわけで、例えば「女性問題」を扱うフェミニストの中でも「DV」の問題に取り組む人とか、「労働」の問題を重視する人とか、「福祉」を切り口にする人とか、それこそ様々。そういう人たちに「すべての女性問題について活動しなければフェミニストではない」とかっていうのはバカらしい。そんなこといったらこの世にフェミニストはいなくなります、きっと。だから男性差別が問題だと思う人はそれを優先的に主張してもらって全然かまわないし、特に女性差別に目配りする必要もないと思う。もちろんフェミニズムとの共闘を目指してもいいし。でも、やっぱり当事者が問題を訴える方が戦略としても有効なんじゃないかとは思う。ただ、男性差別を訴える言説の多くにフェミニズム批判が組み込まれてるのは気になる。別にフェミニズム批判をするな、ということではなく、フェミニズムさえ批判しとけば解決するほど単純な問題なの?ってことで。