無力、あるいは無垢について
id:kmizusawaさんがはてなハイクでおっしゃっていたことを読んで思い出した。
なんかさ。
わかりやすい形で女性(特に女児)がひどい目にあってる事例があったとき、声を荒げて「こんなことはやめさせなければならない!」と言い、異論とみなしたものに対して熱心に非難する人がたいてい出てくるが、成人女性がひどい目にあう事例だと「被害者にも落ち度」とか言って貶める人が多いっつーことと並べて考えると興味深い。
女児は「無力で無垢だから」守ってあげなきゃならんのだ、みたいな幻想ないかー?
以前何かの雑誌でどなたか(すごく記憶があいまい。手持ちの雑誌だったと思うのだれけど、見つけられない)が、95年に起きた沖縄での米兵による小学生女児への暴行事件をきっかけに大規模な抗議集会が行われたことについて、もちろん住民の方々の怒りは分かるのだけれども、これが例えば成人の女性だったらここまで抗議の声が大きくなっただろうか、と書いておられたように思う。特に小学生女児が背負う「ランドセル」が「無垢」の象徴として受け取られ、そのことが大きな抗議行動につながったのではないか、と(またしてもうろ覚えなのでまったく違ってたらすみません)。
もちろん当時抗議集会に参加した方々は、成人女性の被害についても怒りを覚えていて、当該の事件で堪忍袋の緒が切れたという方も多いだろうとは思うのだけれども、実際子どもが被害にあった場合と成人女性(あるいは女児らしくない振る舞いをする女児)とで反応が違うというか、同じような事件でも「擁護すべき被害者」と「責めるべき被害者」と見方を使い分ける人ってたくさんいそうだよなあと。やはり沖縄で起きた事件について「(被害者の中学生は)化粧をしていたのか」とかなんとか書いていた阿呆がいたように思うけれども、まさにそういう線引きをしようとする振る舞いだよな。