誰の道徳?

先月文部科学省が公表した道徳教材『私たちの道徳』。まずはうちの子に関係する5、6年生用をざっと眺めてみたが、これがひどい。なかなかにひどい。
「江戸しぐさ」が取り上げられていることなどは既に話題になっているけれど、他に気になる点も多々。また、今回の冊子は『心のノート』を改訂したものなので、そこから削除されたり新しく付け加えられたりしたものをみてみると、安倍政権の道徳観が分かるんじゃないかな〜と軽い気持ちで見比べてみたら、想像以上にだだ漏れですごかった。のでいくつか紹介していきます。

分量が多いので後半部のみ。あとテキトーにしかみてないです(偉人伝とかまともに読んでない)。

ではチェケラッチョ(以下『心のノート』は心、『私たちの道徳』は私と表記)。

たったひとつのかけがえのないものを、わたしたちはもらった。花や木にも、動物たちにも、わたしにも だれにも平等にたったひとつだけ。
それは、わたしの力で生かしていくものだから そして、多くのものに支えられているものだから

  • 私98ページ

私たちは、たった一つのかけがえのない命をもらった。草や木にも、動物たちにも、私にも だれにでもたった一つの命。
命は、自分の力で生かしていくもの。そして、多くの人たちに生かされていくもの。

「平等」が消え、「多くのものに支えられている」が「多くの人に生かされていく」になりました。ついでに100ページにも「家族や親類、先生や友達など、私たちはたくさんの人たちとの関わりの中で生かされています」と書かれています。よっぽどこの表現が好きみたいです。

それから99ページには、東京オリンピックのヨット競技で、転覆し海に投げ出された他の選手を救助して順位を大きく下げた兄弟の逸話が載っています。彼らは「海の男として当然のことをしただけだ」と語ったそうですが、「税金泥棒」と罵倒されたりしなかったでしょうか。

心〜ではマナー違反の例とマナーを守っている例がそれぞれ写真で示されていますが、私〜ではマナー違反の例ばかりが示されています。
そしてすごいのが、「権利と義務」について(心83ページ、私124-125ページ)。心〜では「生きていくために当然のこととして認められていること」と説明されていた「権利」が、私〜では「ある物事を、自分の意思によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格や能力」となってます。さらに心〜では並記されていただけの権利と義務が、天秤に載せられたイラストになり、「『権利』と『義務』はどんな関係にあるのだろう。わたしたちは社会の一員としてどのように『権利』を主張していけばよいのだろう。どのように『義務』を果たしていくとよいのだろう」という問いかけが、私〜では「だれかが一方的に自分の権利ばかりを主張して義務を果たさなかったり、一方的に義務だけをおし付けられたりするようなことがあったら、どうなるでしょうか。」という文に変わっています。さらに126ページからの「きまりは何のために」という読み物では、

「自分たちで決めたきまりを破るなんて、駄目だよ。」
すると、鉄男が冷やかすように言いました。
「はいはい、健一君の言う通り。でもさ、自分の遊ぶ権利は主張しなくちゃね。」
(それって、権利って言うのかなあ。)
健一が迷っていると、すかさず、
「そうそう、ぼくの遊ぶ権利や買う権利をうばわないでほしいね。」

と嫌らしく「自分の権利ばかりを主張する」小学生が出てきます。なんかどこぞの議員のブログにでも出てきそうなキャラですね。さらに健一くんは社会科見学で国会議事堂に行き、「(国会議員の人たちは、大事なことを衆議院参議院の二か所で順番によく話し合って決めている。議員の人たちは、様々なことを調べ、考えて、国のきまりを作っているんだ。)」と考えています。うちの子どもがこの教材を読まされたら国会中継を見せてやるぜ。

女性も男性も子どももお年寄りも肌の色のちがいがあってもあるいは障害があったとしてもみんな同じ。だってみんな同じかけがえのないひとりの人間。
すべて人間であるかぎり差別やかたよった見方はゆるされない。(以下略)

明らかに反差別や平等について考えさせようとしているこの節は、私〜(132ページ-)では「公正、公平な態度で」という節になっています。心〜には「公正で公平な社会をつくるために」という小見出しがあったのですが。差別という構造的問題が、個人の「態度」の問題になってしまっています。そして、冒頭の文章はこう。

男性も女性も子供もお年寄りも世界中のだれもがみんな同じかけがえのない一人の人間

「女性」と「男性」の順番入れ替え。肌の色と障害は削除(一応外国人差別については読み物の中で出てくるけれども)。そして「差別」という言葉もバッサリ削除。

三方よし」とは「自分よし、相手よし、世間よし」つまり自分ばかりではなく、相手、そして社会までもが仕事を通してよくならなければならない、というものです。この教えは「働く」ということの、本当の意味を示しているのかもしれません。

  • 私152ページ

ます、大見出しは「公共のために役立つことを」になり、「働く」ということについては小見出しに格下げ。そして「三方よし」については…

かれらは 、「 売り手良し、買い手良し、世間良し」という「三方良し」の理念のもと、地域社会の発展にもこうけんしてきました。その成功のうらには、すぐれた商才だけでなく、代々伝えられ守られてきた規律や道徳を重んじる心があったのです。

心〜ではまったく出てこなかった「規律や道徳を重んじる心」が登場。ババーン。

他にも「役割」とか「家族」のところにもひどいところはいっぱいあったけど、面倒になってきたのでこのへんで。
一応念のために消えた言葉「差別」「平等」「障害」を私〜で検索してみたら、やっぱり出てきませんでした(「差別」「障害」は読み物の中で各1回出ているけれども、主題ではない)。

あんなに批判された『心のノート』がはるかにまともにみえてしまうという異常事態。姉さん事件です。