生育環境と犯罪

 ▼活字を通してでも、苦しさ、悔しさ、そして被告への怒りが伝わってくる。弁護側の冒頭陳述によると、22歳の被告の生まれる前に、両親が離婚、小学1年のときに母親を病気で亡くし、祖母に育てられた。両親以外の大人のもとで、いい子でいなければならないストレスがあった、というのだ。
 ▼これに対して、被害者の一人はいう。「私も(被告と同じ)母子家庭で育ち、その母親は3年前に亡くなりました。育った環境と事件を起こしたことは関係ありません」。その通りである。
 ▼山口県光市の母子殺害事件でも、弁護側は被告の生い立ちと事件との関連を強調した。被告が中学1年のときに母親が自殺したことから、被害女性に母親を重ね合わせて抱きついた、「母胎回帰ストーリー」を作り上げた。もちろん、広島高裁の裁判長は、それを否定した。裁判員制度が始まっていたとしても、同じ判断が下されただろう。
(中略)
 ▼取材の後で、不況のために仕事を失った人もいる。生い立ちを犯罪の言い訳にするのは、逆境のなか懸命に生きている人たちに対して、失礼でもある。



生い立ちや家庭環境と非行や犯罪を結びつけるのは、山谷氏始め産経と親和性が高い方々も得意とされてるように思いますが(「離婚が多いスウェーデンでは少年非行が多い」など)。


当然のことながら、ひとり親家庭で育った人すべてが犯罪を犯したり非行に走ったりするわけではない。かといって、ひとり親家庭で育った人の多くが犯罪や非行と無縁であるとしても、家庭環境(経済状況や家庭環境に対する周囲の見方等も含む)と犯罪、非行傾向がまったく無関係と考えるのも誤りだと思う。避けるべきは、(統計的)集団としての傾向や少数事例をその集団の構成員すべてに当てはまるかのようにと考えることであって、個別のケースについて扱う際には様々な可能性が検討されなければならないだろうと思う。
もちろん、今回の被害者の立場からしてみれば、たとえ家庭環境が被告が犯罪を犯した要因になっていたとしても、それが「なぜ自分が狙われたのか」という説明にはなり得ないのだから、被告側が家庭環境を持ち出すことに怒りを覚えるのも当然だと思う。
けれども、裁判の中でなぜ加害者が犯罪を犯したかが問われるのであれば、生育環境についても考慮される必要はあるだろうし、その妥当性は(光市の事件と同様)裁判の中で判断されるべきことである。
少なくとも、過去に「ジェンダーフリー思想」と実際の犯罪を結びつけた産経抄が言うことじゃないよなと思ったりするわけです。